プラハ (チエコ)

  第8日目 2008年5月15日(木) 世界遺産プラハ市内の観光をして夕方プラハ空港へ

プラハの歴史は、紀元前1世紀頃に豊かなこの大地をボヘミアと呼んだのは
ケルト系民族。6世紀頃にチエコの祖先のスラブ系民族が定住した。

第2次世界大戦後ヤルタ体制のなか、ソ連の強い影響下で社会主義の道を歩んだ。
1968年に民主化推進の下「プラハの春」が来たのも束の間、ソビエトの軍事介入で失敗。

 1980年東欧革命の流れの中でほぼ無血、かつ短期間で政権交代を成し遂げた。
1983年にはスロバキアと分離(ビロード離婚)2004年にはEU加盟を果たした。


世界で一番美しいと言われる古都プラハ


カレル橋は 1357年カレル1世が60年の歳月で ボルダ川に架けられた最古の石橋

ヤン・フス派の拠点だったティーン聖母教会
プラハ城


ボルダ川に架かる橋とプラハの街


ゴシック建築のプラハ城・聖ビート大聖堂


バロック建築の最高峰・聖ミクラーシュ教会

30もあるカレル橋に立つ聖者の像
毎正時には12使徒が行進する天文時計


ロマネスク建築の代表 聖イジー教会


カレル橋は全長516m、幅9・5mもある堂々たる姿

レストランでは最初にサラダが出された
メインは各地方の特産物が

ビールは水よりも安かった
食後の後は甘いケーキが

ボヘミアの平原は菜の花が真っ盛り
EU加盟後の国境のボーダーはノー検査で通過



昼間の空は抜けるような青さ!夕方は綺麗な夕日に染まりながら暮れていく!

諦めかけていた中央ヨーロッパの旅を終わって、世界史で習っていた事があまり身に着いていなかった。
実際にボヘミアの大地に降り立つと、見えて来るものがあり納得できる。

ヨーロッパの都市は城壁で囲まれていたのはこういうためなのか。争奪戦ばかりではなく、異なった文明が混ざり合い、
そこに新たな文明が発祥する。そして人々は苦難にもめげず密かに立ち上がって行った。

旅は非日常を体験できる良い機会だと教えてくれた。成る程あくせくとしていた自分が少し立ち止まって、
深呼吸をする機会でもある。

特に中欧ヨーロッパは社会主義体制の下、経済発展が緩やかであったため、幸い中世の遺産がそのまま残っていた。
今まで体験したことも無い感動を私達に与えてくれた。とても感慨深い旅でした。